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「手巾」は語りをどう読むか?が難しい〜練習するたびに変わる解釈たびに変わる解釈〜

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329日に開催する「朗読文学館」に向けて、芥川龍之介の作品に取り組んでいます。

(夜の部はまだお席ありますので、ご興味のある方はご連絡ください)

 

今回読むのは

  • 羅生門
  • 手巾

の二作品です。

 

正直、ものすごくハードルが高いです……(涙)

 

今回は、ミュージックサロンYOSHIKAWAの店主、吉川学さんのクラシックギターとの共演です。

 

学さんが、この2作品のために作曲してくださいました。

 

メロディーラインが本当に美しく、その世界観がとても魅力的で、今回は

ギターの世界観に朗読を合わせるところからスタートしました。

 

練習を重ねる中で、ギターと朗読、どちらの解釈も少しずつ変わっています。

その都度すり合わせをしながら、今もまだ迷走しています。


(練習、あと2……汗)

 

今日の練習では、「手巾」の語りの部分の読み方が大きく変化しました。

 

今日は、その「手巾」についてお話します。

 

「手巾」は語りの視点が難しい

 

「手巾」は、息子を亡くした西山夫人と、長谷川先生の場面が描かれます。

 

この会話の場面は、比較的想像しやすく、そういう意味では読みやすいところだと思います。

 

しかし難しいのは、語りの部分ではないかと感じています。

 

このお話の語り手は、長谷川先生をどこか少し距離を置いて見ている感じがあります。

知識人である長谷川先生を、少し上から見ているようなイメージ。


皮肉を含んで、その人物像を語っているようにも思えるのです。

長谷川先生は、とても知的で立派な人物です。

 

しかし、人間の本質的な感情には少し疎いような、どこか天然のような印象も受けます。

 

 

一方、西山夫人は、息子を亡くした悲しみを表に出すことなく、淡々と話します。

この時の感情をどのように表現するのか……

 

 

そしてこの作品には、一般的には聞き慣れない難しい本の一部分や、回想の場面も登場します。

 

この部分の表現も、非常に難しいところです。

 

 

語り、長谷川謹三先生像、西山篤子像、難しい本の一文、回想シーン

自分はどのように解釈したのか――

そういったことも、329日の会では少しお伝えできたらと思っています。

 

(うまく話せるだろうか・・・)

 

朗読会では、読み手の解釈を語る必要はないのかもしれませんが、


当教室ではとても大切にしていることでもあります。

 

朗読文学館では、あえて

ひとりの読み手としての考えも添えてみたいと思っています。

 

そして今日、大きく変化したのは語り手の読み方です。

 

これは、作者本人の語りなのではないか……

 

ふとそんな考えが浮かびました。

 

もしそうだとしたら、それをどう表現するのか・・・。

 

いま、大いに悩みながら作品に向き合っています。

 

 

本番まであと2週間。
読みはどのように深まるのか……

 

乞うご期待(?)

 

ーーーーーーーー

 

次回は、「羅生門」についてお話しします。

いつもお読みくださりありがとうございます。

 

今日もあなたの声が誰かに優しく届きますように^^

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