朗読の普及とは?
今日は、5月23日に行われる「セララバアドの朗読会」のZOOM打ち合わせでした。
日本朗読協会の原田理事、稲葉相談役、鹿児島の浜本麗歌さんと、わたくしが主な読み手でやりましょう、と稲葉さん(←親しみ込めていつもの呼び名で失礼します)のお声かけで結成しました。
4人組のチームの名前として「セララバアド」と名づけました。名付け親は稲葉さんです。
セララバアドとは、この会の演目の一つ、「アラムハラドの見た着物」に登場する登場人物の名前です、作者は宮沢賢治。稲葉さんは大の賢治ファンだということはご存知の方が多いでしょう。
それで、ついたタイトルなのですが、全然知らない方からしたら、何の会だか分かりにくい・・・それで、今日は、この会に何を込めてお届けするか・・・ということを話し合いました。
4人の気持ちは大きくふたつ「朗読の普及のため」「こころが振り向く朗読」を届けるため。
これは、これまで各々が、それぞれの場所、方法でやっていること・・・とはいえ、やはりこれだけだと伝わらないのでは??
じゃあ、「朗読の普及」は何のためか?
「こころがふりむく朗読」って何なのか?
いろいろ話した結果、「これ!」という答えは出ていませんが、
今日のお話を自分なりにまとめるとこういうことかなと思いました。
「朗読を通して、人が変わっていく過程」をご覧いただく会
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朗読の普及、色々方法がありますが、私の場合は
朗読を通して心と人生の豊かさに出会うことが広がっていく
ということだと捉えています。
そのために自分が朗読や声の仕事を通して人生が変わったことを伝え、同じ悩みを持つ方のお役に立てるようになりたいと思って活動しています。
朗読会は成果の発表ですが、これまで積み重ねてきた人生の発表だと思います。
(えらそうですが、でもやっぱりそうですよね)
朗読は、ただ上手に読むためのものではなく、
声に出して言葉を感じ、相手に届けようとすることで、私たちは自然と「自分の声」と向き合うことになります。
もっと言えば、「声」だけではなく「性格」にも向き合うことになります。
嫌な気持ちは声に出る
自信のなさも声に出る
怖さも声に出る
楽しさも、悲しさも
そして
悔しさも・・・
それは楽しいばかりではなく、
見たくない、聞きたくない声や心と向き合う時もあります。
ですが、その時間を過ごすことで
自分の気持ちの扱い方や、
人との関わり方にも、少しずつ変化をもたらしてくれました。
人前で話す時緊張して汗びっしょりで恥ずかしかったこと
自分の思いをうまく言葉にできず人を困らせたこと
伝えたいことがストレートすぎて、相手を傷つけてしまったこと
わかってもらえなくて、拗ねたり怒ったりしてしまったこと
そんな、色々な戸惑いも「声と話し方」を整える意識を持つと変わってきます。
それらをそのまま放置していたら、今の私はありません。
もちろん、今も色々な戸惑いはあります。
ですが、朗読を通して、声と話し方を整えることができると信じている私は、
今でもずっと、自分の内側を整え続け、これからもそれができると思うと、安心しています。
今回のイベントに限らず、教室や他のイベントでも、
「朗読」という表現を通して、それを伝えていきたいと思っています。
声や言葉がどのように、人の印象や、在り方を変えていくのか、その一端を少しで、p感じていただけたなら、とても嬉しく思います。
「朗読の普及」というのは、私にとってはそのような意味です。
きっと、共演の、先生方も「朗読の普及」「心がふりむく朗読」の定義は色々あられると思いますが、同じ色合いのことだと感じています。
「朗読の普及」を目的とした会ではありますが、お聞きくださった皆様には、
読む、伝える、という体験の先にある良い変化を、ご自身のこととしてイメージしていただけたら幸いです。
あ、じゃあ私が思う、こころがふりむく朗読とは?
自分の声(性格や感情)と向き合った後に聞こえてくる声で読む朗読・・ってことかしら。今日のところはこんな感じで^^
今日もお読みくださりありがとうございます。
今日もあなたの声が誰かの心に優しく届きますように。
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