宮沢賢治作品の朗読&読書会の開催ありがとうございました
宮沢賢治 朗読&読書会
先日、2023年10/17に行われました朗読&読書会のご報告です。
主催してくださった、サルビアさん
至れり尽くせりのおもてなし、進行ありがとうございました!
はーい!みなさまに楽しんでいただけてよかったです( ^∀^)
会の様子はこんな感じでした。
プログラムはこんな感じでした
- 「やまなし」朗読 稲葉妙恵
- 「永訣の朝」朗読 つじあけみ
- 「林の底」ツイン朗読 稲葉妙恵&つじあけみ
- おやつタイム 「モンブランどら焼き」とお茶
- 「あなたの好きな宮沢賢治作品なあに?」のコーナー
- 参加者全員、思い入れのある作品について語るコーナー
どら焼き以外は、ほんとに宮沢賢治についての時間ですね^^
「やまなし」について
「やまなし」の朗読は、稲葉妙恵先生。さすが賢治を愛してやまない先生ならではの純粋な朗読。
稲葉先生は、賢治の作品を読まれるとき、少年のような少女のようなピュアな声で朗読をされるなぁと
いつも思っています。
私は恥ずかしながら賢治作品をたびたび朗読している割には彼のことについてあまり知りません。
ですが、ピュアとか純粋とかそういうイメージが強くあります。
それは、稲葉先生の朗読を聴いているからかもしれません。
私にとっての賢治は、そのような理由で「ピュア」な人、と印象づいています。
「永訣の朝」について
私がこの詩を読もうと思ったのは、「ふと、これがいい」という感じでした。
その感じは、ふと湧いたわりには、結構強い気持ちでした。
今まで何度もお仲間さんが朗読されるのを聴いていましたが
私は今まで一度も読んだことがなかったのです。
特に避けていたわけでもないですし、
むしろ、なんとなく心の片隅にあるような感じではあるのに、
なんで今まで読まなかったのかなぁ。
(難しい・・と思っていたのかもしれません)
こういうことってありますね「タイミング」っていうやつでしょうか?
きっと、私にとってこの日に読むのがちょうどいいタイミングだったのでしょう。
ー青空文庫より引用ー
永訣の朝
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(*あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(*Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(*うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
私は、2018年に7つ下の妹を亡くしています。
それで、賢治が妹のトシを思う気持ちに共感して・・・ということが理由だとすれば、
それは、きっとそうなのですが、
実際はそんな感じでもなく、
だとしたら以前の方がもっと共感できたのでは?という気もしますので、
きっと、それが本当に「読みたい理由」ではないのだと思うのです。
そこで自分の心に向き合って考えてみたところ
読みたい理由はおおまかにこの二つかなと思いました。
・宮沢賢治の朗読会であること
・自分の主催の会ではないこと
つまり、私はこの作品がふと読みたいという強い思いが湧いたことで、
宮沢賢治さんとそのファンの方に対して失礼ではない読みができるのではないか、
そして、自分が主催ではないということで、
純粋な気持ちで、集中して朗読ができるのではないか(表現が難しい作品であっても)
という、そんな気持ちから、この場での朗読に「永訣の朝」を選んだのだと思います。
おかげさまで、
この詩から受け取るものから動く自分の心
に素直に声を出せました。
そして、読んで気づきました。
ここで、涙がでるんだなぁということです。
ここで、わたしの心が動くんだなぁということ。
アイスクリームや、プリン、菓子パンが好きだった妹は
生きているうちの大半は「心から美味しい」と思って食べていなかったと思います。
なぜなら、摂食障害という病だったからです。
お棺にたくさんのスイーツを入れました。
きっと、天上では、
妹は何やら安心して
「ほんとうに美味しい」と思いながら食べていると思いたい。
その気持ちが、この詩にこもりました。
これは、練習では得られない感覚でした。
「朗読会」の有意義さを感じた、そんな朗読となりました。
主催者さん、聴き手のみなさん、それから
このエピソードを、朗読する前に言ってもいいかなぁ?と聴いたときに
「ええよ!」と言ってくださった稲葉先生。
ありがとうごさいました。
林の底について
ツイン朗読を何にするかは、稲葉先生にお任せしました。
これまで、ご一緒した作品は・・・
やまなし、注文の多い料理店、雪渡り、いちょうの実・・・等々
今回選ばれるのは今までに朗読した作品かな?と思ったりしましたが、
やっぱり違った・・・初めて出逢うおはなしを選ばれました。
なんだこりゃ?ϵ( ‘Θ’ )϶
私の場合は、黙読ではいおはなしを理解するのが難しく、
声に出さないと、このおはなしは何が言いたいのかわからない(・・?)
ということが多いのです。特に賢治作品はそうです。
しかもまた、私の場合は「朗読」という形をとって初めて
「なるほど💡こういうことか」と意味がわかることが多いです。
ですので、家で一人で練習していてもその意味では進歩がなく
ちょっと苦労しました。
【ツイン朗読の練習】は、わたし以外の聴き手がいます。
朗読の相方ですね。なので、練習の時間がとても貴重です。
なかなか時間が合わずでしたが
なんとか、前もってできました。
合わせ稽古・・・というより、内容がやっとわかったという感じでした。
やっぱりこれがとても大切なことだと思いました。
練習は、あとイベント当日、始まる前に会場の近所の公園でしました(笑)
そんなこんなで、
ツイン朗読の「林の底」はわたくし、フクロウの役を全力で朗読しました^^
この役の振り分けも、話せば長くなりますが、
簡単に言うと、
登場人物(動物?)は
「私」と「フクロウ」
読み手二人の解釈を擦り合わせた際、いろいろ意見はありましたが、
「私」は賢治自身だ、とおっしゃる稲葉さんのお気持ちに寄り添い、
「私」のセリフとナレーションは稲葉先生に読んでもらうことにした、というところです。
朗読してみて、
この役分けは、合っていたなと感じました。
モンブランどら焼きとお茶 について
こんな美味しいどら焼き初めてだ、というくらい美味しかったです^^
さすが、スイーツ女子のサルビアさん。
お茶も味が濃くて、美味しかったです^^
「あなたの好きな賢治作品聞かせて」のコーナーについて
わたし、このコーナーがとても楽しかったです。
みなさんあらかじめ1分間のトークを用意されていたので、
好きな作品について、思い思いのおはなしをしてくださいました。
もっとお話、聞きたいのにーって、思わされるのがいい「1分トーク」
みなさんお一人お一人の思いを聞けて楽しかったです。
それから・・・・大体のみなさまが朗読をされている方ばかりなので
おはなしが上手です。
そして、声も通る^^
読む・聴く・伝え合うコミュニケーションは朗読で身につけよう!
というスローガンを叫びたくなりました\(^o^)/
まとめ
いろいろ語らせていただきましたが、
今回は、わたくしの主催ではなく、いち読み手として参加できたことで、
大きな喜びと学びがありました。
しかもゲストということで恐縮ではありますがうれしかったです。
朗読というものが、こんなに楽しくて、心を清めてくれ、
前向きな気持ちにさせてくれるものなのだと
体中で感じた時間でした。
このような場を作ってくださることは大変貴重なことだと
再確認もできましたので、
私も頑張って朗読会を開催しようと思いました。
お仲間さん、読み手さん、聴き手さん
これから出逢うみなさまも、
ご一緒に、朗読で楽しみましょう\(^o^)/
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